写真でみる碉楼の歴史

海外華僑より送られてきた絵葉書。こういった写真をもとに中華シャトーが建築されたわけですね。

大多数の洋楼の上部四角には「ツバメの巣」と呼ばれる装飾が施されており、外から見ると優雅だが、内側から見ると穴があいており、銃口になっている。
左側写真の逆Tの字になっているところ。
また足元にも銃口があります(右写真)。

自力村の銘石楼に展示してあったアヘンの吸引道具。
時代背景を考慮するとやはりアヘンと関係が深かったんですね。

日本軍の罪状を書き立てている観光案内(立園)。
日本軍が立園に進入し、金目のものを持っていったとか書いてある。

真偽の程はともかくとして、日本人観光客も来るのだから「鬼子(外国人に対する憎悪をこめた呼称)」という表現を使うのはやめてほしいなぁ。

加拿大村の入口にある手書きの案内。
「這里留有日寇掠奪的痕跡(ここには日本軍の掠奪の痕跡も残ってるよ)」と書いてある。
何がそれに該当するのかは分からなかった。

蜆岡のとある洋楼で見た落書。

広東人民団結起来打倒洋人
保衛中華建立共産党
毛主席万歳
打倒洋人

と書いてある。時代を感じさせますね。

(香港地図より)

香港の銅鑼湾Causeway Bayの三越裏手に開平道という通りがある。周囲には恩平道、新会道というのもある。
開平周辺の出身者が多かったのでしょうね。

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